背景
情報社会は発信してナンボ。
情報社会は発信してナンボ。
産業時代から情報時代に変わっている
現代において、
情報発信しないことは、いないも同然に思われがち。
とはいえ、いきなり
「何でもいいから自分発で社会に何か発信しろ」
って世の中そんな雰囲気があるんだけどさ、
ぶっちゃけ、難しいわけです。
何も考えてないわけではないですよ。もちろん。
頭の中は考えがいっぱい。
無駄な思考かもしれないけどその辺の
よく喋る人よりも実際深く物事について思考してる。
そんな人はいないだろうか。
世の中には、
”浅く広くタイプ” と ”狭く深くタイプ” がいる。
今回は、後者の”狭く深くタイプ” でもある、
口数の少ない、引っ込み思案の人向けに
情報発信について語ります。
口数の少ない、引っ込み思案の人向けに
情報発信について語ります。
本屋が好きで情報収集だけに満足していませんか?
もちろん、知識は大事だし、インプットが悪いわけではなく。
せっかくあなたのように思慮に長けた
素晴らしいアイデアがあるのに世の中に発信しない。
と言うのは勿体ないことなんですね。
素晴らしいアイデアがあるのに世の中に発信しない。
と言うのは勿体ないことなんですね。
何故ならば、
あなたの考えてることや知識が誰かの役に立つかもしれない。
なのにあなたの頭の中にお蔵入りしたままだと
世界を変えることができない。
よく、「あなたのビジョンは何ですか?」
の質問に、目を輝かせながら
「世の中のためになる、何かがしたい!」
そう言う人で、では実際いま何をしてる?と聞かれて
いや、特にまだ何もしてません。がほとんどですよね。
きっとあなたもそうだと思うんです。自分も含め。
何をすればいいかわからない。
なので、その処方箋を自戒をかねてあなたと共有します。
「ターゲットが絞れない」
よく「何かを伝えたいときは、伝えたい相手を明確にしなさい」
あなたも聞いたことがあると思う。
具体的にイメージできればできるほど良い。
彼の(彼女の)プロフィールを想像して、
性別は女性で、何をしていて、何歳で、今までどんなことをしていて
どう言う気持ちで普段過ごしていて、
どんな悩みを抱えていて夢は・・・で、みたいな。
そのプロフィールにちゃんと答えられる
はっきりとしたターゲットがイメージできればいいんだけど
イメージできない場合あるよね。もやっとしてるの。
ぼくなんか全然イメージできません。
ターゲットの細かなプロフィールが設定できない。
ぼくの大雑把すぎる性格なのがイケナイのか、
ぼんやりとしたイメージから進まない。。。。。
そこで、いつも書けなくなって、止まってる。
一つのコンプレックスです。
「じゃあ、どうすればいいのか?」
なんだけど、
わかってるんですよ。
情報は発信したほうがいいってのは。
でも、よく言われている
「ターゲットを明確に」と言う呪文に縛られて書けずにいるわけです。
「ターゲットを明確に」と言う呪文に縛られて書けずにいるわけです。
そこで対処法を考えてみた。
ターゲットの呪縛から解放しよう。
あのね、いくらターゲットを細かく設定しても
してなくてもぶっちゃけ、それは、二の次じゃね?
発信せずに頭の中で肥やしになってるのと、
とりあえず、誰に向けてかわからないけど
ざっくりと、こんな人に向けて書いてるよ。程度で
ざっくりと、こんな人に向けて書いてるよ。程度で
発信してあるのとどっちが価値がある?
ということだと思うの。
上で話したように今は情報時代。
情報を発信しているほうが有利。つまり、
「発信してる」>「発信してない」
って公式が成り立つわけで。
ぼやけたターゲットでも、それでOK!
おそらくなんだけど、
明確なターゲットの設定ってそのうち出来るようになるんではなかろうか。
初めから完璧を求めて動けないでいるよりかは
「まちがっていても、いいんだよ」
の精神で取り組んでみる。 世の中にはいろんな人がいるし
こっちが、ターゲットと思っていない人でも
あなたが発信した情報で変わることがあるかもしれない。 (バタフライ効果)
あなたの記事を、いつか誰かが読んで、心の支えになるかもしれない。
ずっと昔に誰かよくわからない人が書いた記事で助けられた経験ありません?
ネットサーフィンしていろんなブログを拝見してた時の事。
全く興味なかったジャンルだけど偶然記事を読んで気持ちが軽くなったことが何度もあった。
絞りたいターゲット像と違う相手に刺さることだってある!
と言うことを頭の片隅に入れておいていただければと思います。
『誰かのために書く記事はそれだけで尊い。
たとえそれが誰かわからなくても。』
と、自信を持って発信していただければ。
いつか、人に役立つ。今はよくわからないヘンテコな記事だとしても
絶対に価値が出てくる。と信じてみる。
もしかしたら「未来のあなた」って可能性もある。
「うわ〜恥ずかしい。昔はこんな記事書いてたんだ…」
でも、そう感じるってことは、自分ちょっとは成長したかな?
なんて振り返るかもしれないでしょう?
【結論】
発信自体が価値がある。
ターゲットがどうとか誰かのためとか考えずに
人の役に立ちたい貢献の気持ちがあればいつかきっと誰かの役に立つ。
価値が生まれる。
なので、ぼくのように不完全でも不格好で構わない。
安心してあなたの声を世間に表明してほしい
安心してあなたの声を世間に表明してほしい